01

私の家がどれほど貧しかったか?という話は、やめておきましょう。きっとあなたは様々な成功者たちの貧しさによる嘆きを聞きすぎて、うんざりしてるかもしれませんから。

ところで、小学校の時、「図書」という科目って、ありませんでしたか?これは、図書室にこもってみんなで本を読む時間。私はこの時間が大好きでした。

私がよく手に取った本は「13歳のハローワーク」

そこには様々な職業についての解説や、なり方、実際の収入などが、細かく書かれた本でした。しかし、私の心の中で、ある1つの感情が芽生える。

「私は、誰かに属して、働きたくない。」

自分で仕事を取ってきて自分で仕事を行いたい気持ちでいっぱいになったのです。

ちなみに、人生初めて、そのハローワークを読んでいた時に、隣の女の子から、甘く優しく、耳元で愛の告白を囁かれたのは、ご愛嬌。

02

私が始めに立ち上げたビジネスは「ウォーターサーバー」の代理店。おっと、これも属していないかって?それもご愛嬌。当時の私にとっては、これでも仕事を取ってきて誇らしい気持ちでした。

ウォーターサーバーの代理店になれた理由は、友人の父がオーナーだったので、友人を通して「私に仕事をいただけませんか?」とお願いした結果、OKをもらったからです。

話は変わりますが、当時の私は、12歳のくせに太っていました。体重は80キロくらいあったんです。そんな私が、ウォーターサーバーの営業に出かけます。始めた時は「夏」でしたから、デブが汗だく。営業先はマンションや一軒家扉の前で資料を整理し、インターホンを鳴らします。

「ピンポーン」

この後、とてつもなくキレられることを知らずに。家の人が出てきました。

「なんでしょうか?」

私は答えました。

「奥さん。実は身体の中をキレイにしながらダイエットができる水を提案したいと思いまして。」

奥さんは言いました。

「お前が飲めーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!ガチャン!!!!!」

当時の私は、なぜ怒られたのかが、わからなかった。分からないまま、同じように営業するが、いつも怒られた。

そうなんです。周りから見ると、私は身体中、汚らしく、デブだったんです。自我とは怖いものだ。12歳では、まだ完全に形成されていない。気づいたのは、そう、6か月後でした。

「そうか!みんなが怒ってたのは、私がデブだったからか!!私はまるで、『薄化粧が良いわよ。』とアドバイスしてくる化粧の濃い女と、まったく同じだったんだね!!」

私は一時、ウォーターサーバーを休業。なぜかって?だって毎日、苺大福が食べたいからさ。私は痩せることに情熱はなかったのです。今思えば、営業トークを変えたらいいのではないか?と思うが、それはご愛敬。

03

実は、12歳からパソコンを持つことができました。ウィンドウズXPになった時代です。ある日、苺大福を頬張りながらネット検索をすると、私は生まれて初めて「情報商材」というものを見つけます。当時はアフィリエイトなんて、みんな知らない時代でした。セールスレターのヘッダーには

「元芸人がたった27日で月173万円を稼げた秘密のメソッド」

などと書かれていて、その隣には、まったく知らない金髪の男性が腕を組みドヤ顔でこっちを見てる写真が表示されておりました。初めて見た私は、そのレターの内容を詳しく読んで、なぜか魅力に感じ、この商材を買おうと思ったんです。

しかし私は

「いふまのふあふあふいふいふあ、ふおふあふえふあふあふい(今の私にはお金がない)」

と、苺大福を頬張りながらつぶやく。ならば苺大福をやめたらいいって?それもご愛嬌。好きだもの。とはいえ、情報商材は39800円。私はそれを買うための作戦に出ます。どんな作戦かだって?友達に、こう提案するのさ。

「もし君のお小遣いが90日後に2.7倍になったら嬉しくないかい?」

習ってまだ2年しか経っていないほやほやの小数点の掛け算。おそらくその掛け算の初体験をさせたのは、私のおかげでしょう。続けて私はこう言いました。

「もし、君のお小遣いを半分でいい、私に投資してくれたら、そのお金を2.7倍にして返そう。」

答えは「YES:でした。3人の友達から投資をしてもらって、私は39800円の商材を買いました。それが、「詐欺商材」だったとは知らずに…。

ワクワクした気持ちでPDFを開くと、こう、書かれておりました。

「稼げる方法、それは、アフィリエイトです。」

と、それだけ。

「ふええええええ!?(ええええええ!?)」

と口に含んでいた苺大福を吹きだしそうになったのをこらえ、PDFたった3ページしかない商材を、39800円という値段で買ってしまったことに後悔しました。そして、悪夢の始まり…

「真実のある情報は、どこかにあるはずだ!」

と夢みた私は、数々の情報商材を買い漁ることになります。アフィリエイト、ブログアフィリエイト、魚を育てて売るビジネス、エビを育てて売るビジネス、クロスワードを作って売るビジネス、ガラケーアフィリエイト、指定のセールスレターを作ってそれを売るビジネス、海外の10ティアビジネス、ネット教材百科事典シリーズ、車の車検を調査してそのデータを売るビジネス、自動販売機ビジネスなどなど!!いろんな情報商材を買いました。もちろんそのお金は、他校の友達まで投資してくれたお金です。

総額320万円。

人生初めての借金でした。みんなには「90日までに」と言ってるので、私のライフリミットは3か月。つまり、私は3か月以内に320万円を返済しないといけなくなったんです。今まで情報商材を買いまくった人ならわかると思いますが、ノウハウが溢れかえっていて、どれが真実のある情報か?どれを勉強したら良いか?それがわからないまま混乱し、時が過ぎて行きました…

04

1ヶ月が経ちました。320万円を、あと2か月で返さなければいけません。私はバイトを始めました。友人のお父さんがコンビニのオーナーだったんです。私が「仕事をしたい」と言うと、これまたOKしてくれるんです。

粋な計らいで、時給は大学生レベルに。でも全然足りません。家にはパソコンがありましたから、在宅ワークを探します。記事制作(当時は500文字でたった100円の時代!!!)や、画像編集、ホームページ制作、なんかskypeでやるテレアポなど!全てを駆使して320万円を返そうとします。でも、足りません…。

もう1ヶ月経ち、残り29日。

私は、「ある一つの疑問」が芽生えます。

05

ふと気づいた時、私はなぜか、毎日のように苺大福を食べておりました。1日3つも。学校の帰りはいつも商店街を通り、お餅屋さんに立ち寄っては、1日3つも買って食べるんです。

このお金は、そもそもどこから来たのか?(今さら!?)

それは、あるおじいちゃんに肩揉みをしてお金をもらっていたんです。彼は私が小さい頃から、よくしてくださったおじいちゃん。肩もみ、たった10分程度で、300円も、もらっていたんです。よくよく計算すると…時給換算1800円ではないか!!スパーキング!!!!!なんてこったい!!!!!………にしても、そもそも肩もみをして、なぜこんなにもらえるのか?という疑問が沸いた。私はおじいちゃんに聞いたんです。

「どうして、こんなにお金をくれるんだい?」

おじいちゃんは答えました。

「わしには、孫がいなかった。だから肩もみをしてくれるのは、とても嬉しいんじゃよ。」

私はハッと気付きました。そう、彼は、肩もみにお金を払っていたんじゃない。「孫」というブランドにお金を払っていたのか!!小学6年生ショック!!(?

この新事実は、のちに、大奇跡を起こす!!!!!

06

私はこの新事実、「ニーズではなくウォンツ」であること(おそらくだが、この時代でその事実に気づき行動したのは私が初めでは!?と優越感に浸っている)は、ビジネスでも使うことにしました。

あるASPサイトから、報酬額が1万円程度で、320人に提案できるような商材を探したんです。私が選んだのは「ニキビを治すための化粧品」(当時は1万円以上もくれたのね!)私はニキビ化粧品がサブニッチだと認識、そしてウォンツは何かを考えました。

あ、ちなみに、図書館で告白してくれた女の子と、おつきあいすることになりました。

私はよく褒めることで有名で、何が何でも褒めました。もちろんおつきあいした彼女に対しても。「肌、すごく綺麗だよね!」小学生だから当たり前だろ!と思うかもしれませんが、彼女は喜んでくれたものです。そこで閃きました!

「彼氏に褒められる肌になるための3ステップ」

という内容でノウハウを書いたのです。(記事制作の仕事がここで役立つとは!)そして最後に、その商品のリンクを貼ります。PDFにもしましたし、ペラサイトにもしましたが、これが大反響。申し込みは600件にも登り、たった20日で、友達に全額返金。2.7倍にすることはできなかったですが、全員に1.5倍の報酬を与えてなんとか満足してもらいました。

ウォンツ型ビジネス構築を経験できた小学生時代はここで、幕を下ろす。

07

私は、バイトをいろいろ経験しようと決意します。なぜならば、前回の320万円事件、バイト経験でなんとか切り抜けたと感じたからです。私は数々のバイトを始めました。

記事制作(やっと1文字1円で書けるように…これが一番よかった仕事)、ホームページ制作、デザイン、DTP、営業(業務用冷蔵庫、インク、ドリル、プリクラの機械などなど…)オーガニックレストランのホール、カクテル作る人、モロゾフ店員、新聞配達、テレアポ、データ入力、某有名音楽会社が公開した掲示板のサクラ投稿バイト、居酒屋、アパレル、ギター講師、整体師、万屋(ここでは無茶ぶりな仕事多かったなあ…)、なんか車を数える仕事、アイスクリーム工場、ダンボールに物を入れる仕事、卓球のコーチ、動画編集、貴金属買取、キュレーションメディア作成、会場設備、覆面モニター、アンケートモニター、美容室の髪の毛掃除する人とシャンプーだけの人、ネットショップモデル、ネットショップ運営代行、ゲームチェッカー、囲碁将棋店員スタッフ、モデルのスカウトする人、ゲームの改造コードを作る人、編曲して楽譜つくる人、牛乳配達、パチンコ屋の掃除、ペットショップ、警備員、深夜病院の受付、セミナー受付、ブックオフセドリ、メール送信業務、書籍本裁断(高校生でやっとこれの素晴らしさがわかった…)、トイレ掃除、ショップ全体の掃除業務、葬式場所の掃除業務、ショップの床コーティング業務、ライフセーバー、皿洗い…もう、ええか?などなど、13歳のハローワークを見ながらバイトを転々としました。(OH!!所属したくない気持ちはどこにいったんだい!!!!!!)

ちなみにこの頃、小学生でおつきあいした人とは、遠距離恋愛になったのも、ご愛嬌。

08

社長じゃないですね。法人にはしてませんから、代表になりました。600万以上を稼いだので、いろんな手続きが出てきてしまって…、おっと、その話も、やめましょう。おそらくあなたは、成功者の自慢話や苦労話を、本やセミナーを通して、散々聞いてきたのかもしれませんから。

晴れて代表になり、自分のアイディアをカタチ創るための組織を、外注のみで編成していきます。すると不思議なことに、いろんな企業から、

「この商品を売ってくれませんか?」

というオファーが来るものですから、比較的高いマージンをもらいながら、組織運営していたんです。そこでまた、ふと、閃きます。求人を出すことも、運営をすることも、またメールを送ったり相談したりすることさえ、誰かに外注できるのではないか?いや?もっと言うと、ビジネスそのものを箱として認識し、誰かに任せることができるのではないか!?と考えた私は、

人生で初めて、社長を雇うことに。

09

私は経営することが苦手でした。ずっとアイディアを創っていたい。そんな気持ちが、社長を雇うという思考に変わります。当時は社長求人サイトみたいなものがありまして、そこで募集をかけたんです。集まったのは5人。一人一人面接をしました。おっと、高校生であることを隠した方が、自分にとっても何かと都合がいいと思ったので、初めて…スーツを買う。オリヒカです。

面接すると、ひときわ目立ったスキルを持つひとりの男性がいたんです。私は彼の能力に惚れ込んで、即座、雇うことに。

この後、多額の負債を抱えることも知らず….

10

私は、能力がある彼に対して、何も言わず完全に任せました。それから4ヶ月、なんと、売上が落ちていってるではありませぬか。私はてっきり、

「まぁまぁ、そういう時期もある。彼の能力を信じよう。」

と中間テストの勉強をしておりました。しかし、一向に売上が戻りません。文化祭や体育祭、そして部活がある中で、私はなかなか彼のサポートをすることができず。

1年、経ちました。彼の元に行くと、なんと事業資金を担保にして、4000万円を借り、ほぼ全てを使いはたしていたのです。彼は私に、か細い声で、こう言いました。

「どうすれば秘書と、良い関係を結べますか?」

高校生の私でも、意味のわからない質問でした。どうやら彼は、秘書との関係をうまくいかせることが、事業の発展につながると、本気で信じていたんです。この話をするとほとんどの人は信じませんが、そのような価値観を、彼は持っていました。私は彼に言います。

「今、売上がない中、4000万を借り、そして、なくなりました。私はあなたに、どのような決断を下すのが得策でしょうか?」

彼は言いました。

「やめます。」

まずは第一ステップ。代表を辞めさせることができました。(代表をやめさせるって結構大変なのよ?)次は、負債。私は負債を返すことに、頭を悩ませます。

ちなみに、遠距離恋愛だった彼女とは、お別れすることに。「悩み」とは、人間関係にも、精神にも、行動にも、こんなに影響が出てしまう。それを同時に経験できたのもまた、ご愛嬌。

11

痰を吐かれたことってありますか?生暖かいジュルッとした黄色い液体が、頭皮を辿り、こめかみ、ほっぺ、首までノロりと流れ落ちる様。私にとって、人生初めて経験した唯一の屈辱でした。バイト先の上司に垂らされたのです。

実はまだ、保険のために続けてました。バイト。ですが4000万という負債を返すのですから、バイトをしてる時間なんてありません。ビジネスに集中することを選択したんです。とりあえずバイト辞めよう。そう決意した瞬間に起こった出来事。

実は、もともと嫌がらせが好きな上司だったのですが、私が会社を辞めると言い出すと、静かに近づいてきて、生暖かい黄身のような痰を、つむじの上からジュルルっ、と垂らしてきたのです。高校生活と、4000万の負債、そして、実はあった、愛する人の死。その渦にのまれ、今にも崩壊しそうな私に、汚物を垂らす。初めて、そう、生まれて初めてだ。人を殺したい、そう思った瞬間でした。

よくある自己啓発の本ならこう書くだろう。

「リフレーミングしよう!」

できるかボケーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!

当時の私は、これを超える快の臨場感を持ち合わせておりませんでした。殺したい…..。でも、耐えました。その理由もまた今度。私は、瞳孔が開いた状態でお辞儀をし、バイトを辞めることを再度伝え、エレベータへと向かい、会社を後にしました。

12

まず…この4000万をどう返すんだい!!と。高校生の4000万はね、30歳の3億円みたいなもんであるこの4000万円をどう返すんだい!と。「そうだ!コンサルしてもらおう!」と思ったわけです。

私は、ある某有名なコンサルタントのサービスに申し込みました。なんと…コンサル料1時間10万円!!期待できそうです!(そして私はあと何回「コンサル」というワードを言うのだろうか!)

私は、コンサルタントを前にして、今までの経緯を説明し、アドバイスを求めます。

すると、このように言われました。

「君に足りないものを教えよう。それは…ミッションです。」

……

………

私はこう言いました。

「な、なるほど…ミッション、ですね。なるほど。私はこれまでこういったビジネス的資産を持っています。ここから考えられるキャッシュポイントについてご意見を具体的に伺ってもよろしいですか?」

すると、コンサルタントは口を開き、こう言いました。

「ミッション。それがないと、何も始まらないよ。」

….という感じで、1時間が経ち、10万円を払いました。
なるほど….ミッションか…

と、とりあえず、次のコンサルタントの話を聞くことにしよう!と思った私は、口コミも頼りにして次のコンサルサービスを見つけました。コンサル料1時間5万円。前よりは安いけど、ほら、安いけどクオリティが高いサービスもあるじゃないか!コストパフォーマンスってヤツさ!私はそのコンサルタントに今までの経緯を説明し、アドバイスを求めました。

すると、そのコンサルタントは口を開き、こう言いました。

「君に足りないものを教えよう。それは…情熱です。」

……

……

「な、なるほど…情熱、ですね。なるほど。私はこれまでこういったビジネス的な資産を持っています。ここから考えられるキャッシュポイントについてご意見を具体的に伺ってもよろしいですか?」

すると、コンサルタントは間髪入れずに
「情熱。それがないと、何も始まらないよ。」

という感じで、これまた1時間が経ち、5万円を支払いました。なるほど….情熱か…ぐすん….。

もう…あと一人だけにしよう。そう思って、最後のコンサルタントを探しました。先ほどの2人も結構有名なコンサルタントでしたが、それを上回る有名なコンサルタントにお願いすることになりました。これはすごいですよ!コンサル料1時間30万円!流石に期待できますね!!

私はそのコンサルタントに今までの経緯を説明し、アドバイスを求めました。

すると、そのコンサルタントはゆっくり口を開けて、こう言いました。

「私は、他のコンサルタントとは違います。回りくどい話が嫌いです。常にその人が今求めていること、今必要なこと、確実に稼げること、正直にお伝えします。あなたの時間を無駄にはさせません。では、あなたに足りないものを教えましょう。それは…情熱とミッションです。」

……

……

「な、なるほど…情熱と…ミッション、ですね。なるほど。私はこれまでこういったビジネス的な資産を持っています。ここから考えられるキャッシュポイントについてご意見を具体的に伺ってもよろしいですか?」

「情熱とミッション。それがないと、何も始まらないよ。」
という感じで、1時間が経ち、30万円を支払いました….。うえーん。

ただ、有名コンサルタント3名に45万円を払ってわかったことが1つだけあります。

この経験がのちに、奇跡を起こす!!!

13

私は、有名コンサルタントに合計45万円を払ってわかったこと。それは、「キャッシュポイント」の話が一切なかったということ。そ、そ、そ、それは!!と、と、と、、、、ということは!!!「キャッシュポイント」を考えて売ったら儲かるのではないだろうか!?」と閃きます!!!私は世界の情報をかき集めて、約5000社のビジネスモデルを研究し、キャッシュポイントモデルを作って売ってみようと思い立ちます。

ただ、一応、一応ね?初めて作ったキャッシュポイントモデルが、実際に売れるかどうかわからないからさ?一応、一応!!某有名コンサルタントに添削してもらったんです。

私が作ったモデルを見て、その人はこう言いました。

「ああ、こんなんじゃ無理だから。素人みたいだよ。」

といって、私の企画書を床に投げ捨てました。

「わかりました。失礼します。」

といって、床に散らばる資料を拾おうとすると、

「ああ、こっちで片付けとくから、すぐ帰りなさい。」
と言われたのでそのまま帰りました。

ここからの展開、想像つくだろう??なぜ、ここで気づかなかったのだろうか!?と今でも後悔しているのだが、なんと3ヶ月後、私の企画資料を床に投げ捨てた先ほどの某有名コンサルタントが、私のビジネスモデルで事業を立ち上げていたのです!!スパーキングッッ!!!!

なぜ分かったかって?

①まず、そのコンサルタントと全く違う業種の企画であったということ。
②私が考えたサービス名をそのまま使っているということ。
③コンサルタントの元で働いているバイトの人にこっそり、最近もらったマル秘資料を見せてもらったところ、そのまんま私の企画書内容だったこと!

確信犯的にパクられた!!!!!OH!なんてこったい!!

ただし!!!!BUT!!しかーっし!!!!これで、わしは確信したんや。

「ああ、みんな、キャッシュポイント、作れないんだね。」

この確信が、私の自信を生み出してくれました。さらにキャッシュポイントモデルを作って、いろんな会社にプレゼンしまくりました。

詳しい話はまた今後。

結果…大成功。なんとたった5日で、4500万円を手に入れました!!人生初だ!このスピードで売り上げたのは!!4000万円の借金もあっさり返せました!なんと素晴らしい!!最高だぜ!!!生きててよかった!!!!とは、ならなかった…。

そう。私は、ビジネス恐怖症のようなものになってしまったのです。
あのストレスが非常に強かった。4000万円を返した時には、
愛する人と別れ、愛する人が死に、友も失い、そして信頼も、失っていたのです…。

13

実は、ビジネスなんかやめて、建築家になろうと思ってました。理系を選択し、勉強したものです。しかし、借金やいろんなことがあり、勉強もおろそかに。その中で、ふと感じたことがあります。

「そうだ、音大に行こう。」

まるで京都に行くがごとく、音大を受験することになります。(理由はまた今度。)受験は残り3ヶ月。私は必死に、本来3年で学び終える音楽知識を、音楽以外の全ての授業とテストを捨て、3ヶ月間猛勉強し、受験にのぞみます。そして見事、合格。音楽大学の作曲専攻に入学することになりました。私の貯金は、当時300万程度。これで大学生活はなんとかなるだろう、と、そう考えていたが…甘かった!!ティムタムよりも甘かった!!!!!

なんと音大は年間240万円かかるのだ!!!!!、教材などを抜いて。驚いたけれど、まあ、バイトをすればなんとかなる、そう思って、私はまたバイト生活を始めます。大学生らしいですね。ですが、バイトはきつかった。来年も240万円を稼ぐと考えると、普通のバイトではいけません。しかし、バイトを1つにしてしまうと、「この日、入ってくれへんか?」と頼まれてしまいます。

そのため、1時間~3時間程度のバイトを8個掛け持ちし、ローテーションでバイトをしておりました。経験したバイトはコーヒーのコースターをつ…(以下省略。)私に寝る時間なんてありません。初めは平気だったんですが、2年経った頃、私の身体と精神はボロボロに。大学の勉強、そして作品を作る時間も、必要だったからです。

私は…夢の大学生活を手放そうと、決意しました。

14

大学を辞めるとなんやかんやで、作曲の依頼があったんです。背景音楽からオーケストラまで。よく「音楽で食べていけるのか!?」と叫ぶ音楽教師がいますが、私にはマーケティングがありましたので、苦ではありません。そしてオーケストラを描いて、作品として出します。演奏が終わると、作曲者がステージの前に出向いて、聴衆に向かってお辞儀をするんです。なので私はステージに上がり、聴衆に向かって、深く、頭を下げる。心の緊張がほぐれていった次の瞬間、私は感じた。

「もう、ええっか。」

深い満足感でした。いや、もう、満足でした。いろんなことがありすぎた。小学生から、今に至るまで。頭を下げて顔を上げるまでの短い時間、私の人生が700倍速でフラッシュバックする。非常に長かった心の緊張が完全にほぐれ、ステージの上で私は、作曲家を早くも引退すると、決意しました。

私はまた、ビジネスの世界に戻ることに。初めは、アイディアを考えるたびに、大切なものを失うのではないか?と眠れない毎日が続きます。こんな私を理解できる人はいないので、1人で抱え込む生活。しかし、一つのゲームが、私を勇気付けてくれます。

それはMOTHER2というゲームです。

実は、毎年このゲームは欠かさずやってるのですが、この時のプレイは、様々なことを気づかせてくれました。不安や恐怖もまた、エンターテイメントの一つで、自分の情熱に向かって、ボスを倒していく主人公の姿。私もそのようになりたいと、心から願ったものです。

15

あれから数年が経ちました。私もまだまだ数百億プレイヤー。セルフブランディングもしないし、商品も作らない。ひたすらアイディアを出すだけ。最高の人生です。信頼できる友と仲間、チーム、愛する人、自由な時間があり、夢があり、チャレンジがあり、成長できる自由もあり。幸せをこれまで以上に味わう毎日。でも、まだまだこれから。私の好みに向くまま、私のストーリーはどうやら、

また、始まりを迎えたようです。